ともに励もう!~吉田松陰  1/3~

人の紹介

おはようございます。あっぺいです。

吉田松陰をご存じですか?

私は高校生の時に日本史で少し勉強して「松下村塾を作った人」程度の認識しかありませんでした。※実際には作ったわけですらありませんでした。作ったのは松陰の叔父です。

大人になってから、色々な人の話を聞いたり、本を読んだりする中で、私が尊敬する人の多くが吉田松陰の思想に影響を受けているということに気づきました。

私もだんだんと吉田松陰について興味を持つようになり、松陰についてに書籍も複数読みました。

今日からシリーズで吉田松陰についてご紹介します。29歳で亡くなりましたが、その短い生涯で後世に多大なる影響を残しました。

今回は3回に分けて、吉田松陰の考え方をご紹介します。

1日目の今日は、「学び会うことの大切さ」についてです。

吉田松陰の生涯

作画:松浦松洞

1830年8月4日(西曆9月20日)現在の山口県萩市に生まれます。

5歳で松下村塾に入って学び、9歳の時には明倫館の兵学師範となります。

19歳になったとき、「もっと多くを学びたい」と九州に遊学します。これはアヘン戦争で清が西洋列強に大敗したことがきっかけになっていると言われます。「今日本にある兵法は時代遅れになる。このままでは日本はだめになる」という焦りがあったのでしょう。

その後も学ぶために東北への遊学を計画しますが、藩からの手形の発行を待たずに出発してしまい、藩から士籍剥奪・世禄没収の処分を受けます。

学びのために犠牲を厭わない松陰の人柄を物語るエピソードです。

1854年、日米和親条約締結のために下田に寄港していたアメリカ軍艦に弟子と二人で乗り込みます。アメリカに連れて行って欲しいと懇願しますが、受け入れられません。仕方なく、奉行所に自首し、その後投獄されます。松陰が25歳の時でした。

翌年出獄を許され、28歳になって、叔父の松下村塾を引き継ぎ、新たな塾舎を建て、人材育成に力を入れます。

1858年、幕府が日米修好通商条約を締結したことに激怒し、間部要撃策を提言します。これは今でいうクーデターです。松陰は倒幕への思いを強めていきます。

しかし、この考えを長州藩から危険視され、再度投獄されます。

翌年、それまで投獄されていた萩の野山獄から、江戸にある伝馬町の獄舎に移されます。その背景にあるのが安政の大獄です。

伝馬町の獄舎で尋問された松陰は、間部要撃策を計画したことを自ら話します。これが重罪と判断され、斬首されます。

吉田松陰の教育のあり方

今日ご紹介したいのは、吉田松陰の学びの姿勢です。

彼は弟子に対し「一緒に励みましょう」という言葉をよく使ったとされています。

時として「あなたは私に何か教えることができますか?」と質問することもあったそうです。

まず、自分が学び続けることが大切だ、という意識があったのでしょう。

彼が一度目の投獄で萩の野山獄に入っていたときのことです。

松陰は父と兄から大量の本を差し入れてもらい、読書に熱中しました。読書中に感激して涙を流すこともあったといいます。

牢屋の中でも勉強を続ける松陰は、他の囚人から興味を持たれます。そして、いつしか他の囚人たちも松陰のように何かを学びたいと思うようになるのです。

囚人の一人に富永有隣という男がいました。彼は13歳の時に藩主に『大学』を講じるほどの秀才でした。松陰は富永に頼みます。「あなたから書を学びたい」と。最初は嫌がっていた富永ですが、いずれ松陰だけでなく、他の囚人にも書を教えるようになりました。

また、松陰は元寺子屋の師匠に頼み込み、俳句を教えてもらいます。

こういったことを続けるうちに、囚人がお互いに教えあうようになったのです。

人生に絶望していた囚人たちも、学び合いの中で人生に希望を持ち始めたのです。

この野山獄に投獄中に、松陰は友人に手紙を出します。その中にはこう書かれています。

「もしも自分が獄中で一生を過ごすのであれば、数十年後にはここから傑出した人物を輩出できるだろう」

教育には色々なあり方があります。

ただ、常に教える側が何でも知っているわけではありません。生徒の方が自分よりも深く知っていることもあるはずです。

「俺が教えることは絶対だ!」というスタンスではなく「俺に教えられることはある。しかし、君が俺に教えられることもあるんだ。お互いに学び合おう」というスタンスを取った方が、学びは深まります。

学びは一生続きます。どちらかが一方的に教えるのではなく、互いに学びあうことを大切さを、松陰は教えてくれます。

まとめ

本日の内容をまとめます。

  • 自分が教えられることは教え、自分が学べることは相手からも学ぶ
  • どんな環境に置かれても、人は学び続けることができる

自分が初めて部下を持ったとき、「俺が教えなくちゃ!」と肩に力が入りまくったことを覚えています。いつの間にか「上司である俺が正しいんだ」と横柄な態度を取っていました。

今は部下にも「この仕事は俺の方が長くやってるから、技術的なことをは教えられるけど、もしかしたら君のアイディアの方がいいものを作れるかもしれない。気づくことがあったら気にせず色々教えてくれ」というスタンスで接しています。明らかに今の方が楽しいです。新しい学びもあります。

生涯、学びは続きます。楽しいですねえ!

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

みなさんの世界が、また少し美しくなりますように。

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