「ヨーロッパ世界」が中核となった理由を知ろう!~『世界システム論講義 ──ヨーロッパと近代世界 』川北稔 著②~

本の紹介

おはようございます。あっぺいです。

昨日から川北稔さんの『世界システム論講義 ──ヨーロッパと近代世界 』をご紹介しています。

「世界がどうして今の状態になっているのか」を長期的かつ広範囲的視点から考察した名著です。

この本を読むことで、世界の現状を俯瞰で捉えることができます。

前回の記事では「世界システム論」についてご紹介しました。

世界を「国の集合体」としてではなく「一つの生物」として捉える考え方を「世界システム論」と言います。

すべての国が「工業化された豊かな国」というゴールに向かって用意された自分のレーンを走っているのではなく、たった一本のレーンを各国が押し合いへし合いながら走るため、国によって格差が生まれてしまいます。

2日目の今日は「なぜ現在の世界でヨーロッパが中心となったのか」についてご紹介していきます。

アジアやアフリカではなく、ヨーロッパが現在の世界の中心となったのでしょうか。今日はその経緯についてご紹介していきます。

15世紀まで優位であった中華システム

なぜヨーロッパは「中核」になったのか。じっさい、近代を生み出したとされる火薬や羅針盤や印刷術などは、ことごとくアジア、主に中国の発明したものであったし、海外への探険や航海にしても、中国のほうが先に展開したともいえる。

出典:『世界システム論講義 ──ヨーロッパと近代世界 』川北稔 著

実は、15世紀までは世界の文明の最先端を走っていたのは中国でした。

技術水準だけではありません。

農業や製造業の生産力もヨーロッパよりも中国の方が高かったことが窺えます。たとば、種一粒を蒔いて何粒の種が収穫ができるかというような推計を見ても、アジアの方がヨーロッパよりも優れた結果を残しています。

海外へ先に進出したのも中国でした。

コロンブスやバスコ・ダ・ガマと言ったヨーロッパ人が大航海をする以前の明代の初期に鄭和(ていわ)という中国人がアフリカ大陸まで到達しています。

鄭和の航海は7度に渡ります。しかし、彼の航海は基本的には平和的な修好と通商を目的としていました。

ヨーロッパ人が後に侵略・開拓を目的としてアメリカやアフリカに進出したのとは性質が異なります。

いずれにせよ、15世紀までは中国文明が世界の中核に近かったと言えるでしょう。

では、なぜ中国ではなくヨーロッパが世界の中核となれたのでしょうか。

当時のヨーロッパと中国のシステムを比較するとその理由が見えてきます。

ヨーロッパと中国の差を生んだもの

アジアの中心であった中国とヨーロッパ各国との違いは何だったのでしょう。

ヨーロッパが世界の中核へとなっていった理由を本書では2つ挙げています。

システムの違い

ヨーロッパのシステムと中華システムには、決定的な違いが一つあった。すなわち、前者は政治的統合を欠いた経済システムであったということである。中華システムの「中核」は、明であれ、清であれ、とにかくユーラシア大陸の東部一帯をひとまとめにして支配する「帝国」となっていたのに対して、西ヨーロッパは、まさしくそのような統合を欠き、「国民国家」の寄せ集め──インターステイト・システムに組み込まれていたとはいえ──にすぎなかったのである。帝国は帝国内部での武力を独占し、武器の浸透や発展を阻止する傾向が強い。これに対して、国民国家の寄せ集めであったヨーロッパでは、各国は「競って」武器や経済の開発をすすめた。このことが、十六世紀における東西の武力の圧倒的な差となって現れたとみるべきであろう。

出典:同書

帝国として内部を支配しようとする中国。

それに対して、統合を欠いた国家の寄せ集めのヨーロッパ。

この性質の違いです。

紀元前221年に秦王朝として中国か統一されて以来、中国はずっとユーラシア大陸の東部の大部分を一つの国として支配してきました。もちろん、何度も王朝は滅び、また新たな王朝が生まれましたが、あの広大な国土を支配することが為政者には求められます。広大な国土を持つがゆえに、内部をコントロールすることに力を注がざるをえないのです。

江戸時代の日本に似ていますね。

参勤交代を大名に強いることで各藩に財政負担を強いることで各藩の国力を下げ、結果として江戸幕府は300年も維持することができました。しかし、江戸時代の300年に技術や経済は発達せず、西洋諸国からの外圧によってあっけなく江戸幕府は終焉を迎えました。

これと同様に、中国国内では競争が起こることはなく、あくまで王朝を維持することを目的にエネルギーをかけたのです。

それに対し、ヨーロッパ各国は他国に負けないように競争を続けました。

ヨーロッパ各国がお互いを脅威と見なし、侵略されることを防ぐために軍事力と経済力を高めたことにより、世界の中核となることができたのです。

アメリカの獲得

アメリカ人の歴史家K・ポメランツは、その著『大分岐』において、十八世紀末まではヨーロッパとたとえば、中国に経済水準や技術水準の差異はなかったとして、ヨーロッパが「アメリカ」という、巨大な資源供給地を得たことが、東西の歴史的明暗をわけたとしている。その点では、本書の理解とほぼ同じである。ただ、ここでは、ヨーロッパが「アメリカ」を得たのは、たんなる偶然だとはみない。中国が対外進出を控えて、むしろ「海禁」とよばれる鎖国政策に転じていくのに対して、ヨーロッパが「大航海」に熱中するのには、しかるべき理由があったと思われる。

出典:同書

前述した通り、コロンブスやバスコ・ダ・ガマと言ったヨーロッパ人が大航海をするより早く、明代の初期に鄭和(ていわ)という中国人がアフリカ大陸まで到達しています。

鄭和の航海は7度に渡ります。しかし、彼の航海は基本的には平和的な修好と通商を目的としていました。

帝国を維持するために内部をコントロールすることに必死だった中国は、海を越えた土地まで支配することを考えませんでした。

余談ですが、この中国の姿勢に救われたの国の一つが日本です。中国は自国の東に位置する小さな島国を倭(日本)と冊封国として扱います。これは「文明化されていない国に徳を与えてやる」といったもので、支配ではありません。あくまで政治や経済は冊封国に委ねられたのです。

それに対し、ヨーロッパ各国は他国との競争を有利にするために植民地を求めました。

詳しくは次回以降にご説明しますが、アメリカという巨大な植民地を得たことで、ヨーロッパ各国は貨幣の素材となる銀や、商業的価値の高い砂糖の生産が可能になりました。

公平な立場でする貿易ではなく、アメリカを植民地として支配し、資源を収奪することで、ヨーロッパは成長することができたのです。

まとめ

今回の内容をまとめます。

15世紀まではヨーロッパシステムよりも中華システムの方が優位でした。しかし、中国は巨大な帝国を維持するためにエネルギーを内政に向ける必要があり、侵略目的で海外に進出することはしませんでした。

それに対して、ヨーロッパ各国は他国との競争のために資源を求めて海外に進出します。結果としてアメリカを発見し、植民地化することで、莫大な資源をアメリカから供給することができたのです。

アメリカから資源を収奪し続け、競争を続けたヨーロッパ各国は技術的にも経済的にも成長し、世界の中核となったのです。

次回は、ヨーロッパ各国がアメリカに進出していく過程をご紹介していきます。

今週の記事は少し難しいかもしれません…

しかし、現代の世界の成り立ち知ることによって、世界に見え方は変わってきます。あともう少しお付き合いください。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

みなさんの世界が、また少し美しくなりますように。

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