人を育てるときは、短所を長所に変えてあげよう! ~吉田松陰 2/3~

人の紹介

おはようございます。あっぺいです。

前回から引き続き、今回も吉田松陰の考え方をご紹介します。

前回は教える立場の人間が「ともに学ぼう」という姿勢を持つことの大切さについてご紹介しました。

今回は人の育て方についての考え方です。

松陰の門下には久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、前原一誠、品川弥二郎など、幕末から明治にかけて活躍した人物が多くいます。

今回は久坂玄瑞と高杉晋作への接し方についてご紹介します。

久坂玄瑞との手紙のやりとり

久坂玄瑞は1840年に松陰と同郷の萩に生まれます。

20歳年上の兄・玄機は緒方洪庵の適塾で塾頭を任されるほどの秀才でした。その兄の影響を受けた玄瑞は16歳の頃に九州を遊学しました。

熊本で宮部鼎蔵を訪ねた際に、松陰が優れた人物だと紹介されます。

萩に帰ると、玄瑞はさっそく松陰に手紙を書きます。この手紙は現存していませんが、その後の松陰からの返信から推測するに「かつて北条時宗が元の使節を切ったように、ペリーも切るべきだ」という内容だったのでしょう。

この手紙に対し、松陰は猛然と反論します。

以下が松陰からの返信を現代語訳してまとめたものです。

「君の議論は軽薄で思慮が足りない。至誠というのは心の中からのものでなければならない。しかるに君の論は、ただ世間なみの 悲憤慷慨 をよそおっているだけで、その実、自分の名利を求めているものと異ならない。僕は深くこの種の文をにくみ、このタイプの人をにくんでいる。 ……世の中には、どんな場所でも、どんな人でもなさねばならぬことはあるものである。事を論ずる時は、自分の置かれた場所、自分自身のことから始めるべきである。これこそ着実というものだ。君は医者である。僕が囚徒の立場から論ずるように、君は医者の立場から論ずるべきである。これを論じないで、一足とびに天下の大計を論じても益することは何もない。聖賢の貴ぶところは、議論ではなく、実行である。空言を避け、自ら実践することを第一とせよ。

出典:『吉田松陰 松下村塾 人の育て方―――リーダーは教えない。』桐村晋次 著

松陰は、誰かの考えをそのまま鵜呑みにし、まるで自分の考えのように主張することを嫌いました。

近年のネット炎上と似たようなものを感じますね。「誰かが悪いと言ってるんだから、きっと悪いに違いない」そういう思い込みに支配され、思考停止に陥るのが一番おろかなことです。

この手紙のあと、何度かやりとりを重ね、玄瑞は松陰の弟子になります。弟子となってからの玄瑞は高杉晋作とともに「村塾の双璧」と呼ばれるほどの人物となります。

このエピソードで私が注目するのは、見ず知らずの相手にまで松陰が真摯な対応を取ることです。決してうわべを取り繕うのではなく、血気盛んな若者からの手紙に対しても、本質的な問題点をきちんと批判できるところです。

高杉晋作への接し方

高杉晋作は1839年に萩で生まれます。

一人息子の上、幼少期にあまり丈夫ではなかったため、親から大変かわいがられて育ちました。

少年時代はわがままで乱暴な性格であったと言われています。

好きなことには人一倍一所懸命取り組むものの、興味がないものは一切手を出さない。そういう少年でした。

学校に進むようになってからも、学問より剣道に熱を入れていました。

18歳の頃に松下村塾に通い始めます。

松陰が、晋作の教育の上で留意したのは次の二点である。 ひとつは、頑固で強引な性質をどう育てるか、ということである。頑固さは、変に育てば 頑迷固陋になりかねない。決して長所とはいい難い。 しかし、松陰は人の上に立つ指導者となり、やがてひとつの事をなし遂げる人物になるには、頑固さは大切な性質であると考えたのである。

中略

〝角を矯めて牛を殺す〟という言葉がある。少しの欠点を直そうとして全体を駄目にしてしまうことであり、枝葉のことにかかわって本体を毀損してしまうことである。 松陰は、人材を育てるには忍耐と寛容さが必要であることをよくわきまえていたのである。

出典:『吉田松陰 松下村塾 人の育て方―――リーダーは教えない。』桐村晋次 著

松陰は一見すると「わがままで頑固」という晋作の性質を肯定的に評価していました。そして、その個性を伸ばして晋作を指導者として育てようとしたのです。

また、松陰は晋作が久坂玄瑞と切磋琢磨するように仕向けたとされています。

玄瑞は学問に優れ、理性的な人物でした。晋作には玄瑞から識見を学ばせ、玄瑞には晋作の才を学ばせようとしたのです。前回ご紹介した「互いに学び合う」ですね。

こうして晋作と玄瑞はお互いの優れた部分を認め合い、互いに学び合うようになりました。

個性を消して枠にはめようとするのではなく、それぞれが持つ個性でお互いを補いあうという考え方です。

今重視されるダイバーシティ(多様性)を松陰は160年以上前にすでに重視していたのです。

個性を重んじることの大切さについては下記の記事でも紹介してます。

まとめ

今回の内容をまとめます。松陰の素晴らしい教育方法です。

  • どんな相手に対しても誠実に対応する
  • 一見短所に見えるものも、肯定的に捉える
  • 長所と短所が凸凹な二人に切磋琢磨させる

自分が指導する立場になって初めて分かる「教育の難しさ」があります。私の場合、それは「自分の価値観で教えていいのか」というものでした。

指導者の中には「俺と同じようにやれ」という考えの人も多くいます。

しかし、人にはそもそも個性があり、得手不得手が人によって違います。みんなが同じやり方でうまく行くはずがありません。各自が自分の得意分野で力を発揮することに意味があるのです。

推測ですが、松陰は、玄瑞にも晋作にも、自分にはない人間的な魅力を感じていたんではないでしょうか。そして、それを大切に育てようとしたんだと思います。私もそうありたいです。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

みなさんの世界が、また少し美しくなりますように。

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